私がカメラマンになるまで、負けず嫌いな性格から、とにかく頑張ったり失敗したり・・たくさん回り道をしてきました。
これは、理系女子な私が、カメラマンになるまでのお話です。
親の期待に応えたい子ども時代
奈良の田舎で育った私は、子どもの頃は、それなりに器用で勉強もできるタイプで、学校の先生にも気に入られる頑張り屋さんでした。
だからこそ親の期待もかかりやすかったのかもしれません。
習い事もたくさんして、とにかく親の期待に応えようと無意識に頑張っていた気がします。
そうやって幼い頃から、無意識に左脳な生き方をしていたからこそなのでしょうか、図工や美術の授業が実は好きでした。
絵を描いたり、色を塗ったり、夢中になってゾーンに入るのがすごく楽しかったのを覚えています。
頑張りたいけど頑張れない学生時代
親の期待に応えつつ、私は希望の大学に現役で入学できました。
大学2回生からは神戸で一人暮らしもはじめ、世の中でいう成功ルートを進んでいました。
でも、だんだんと自分の中で違和感が出始めます。
ちゃんと授業出て、単位も優を取って、頑張らないと・・と思うほどに頑張れない日が増えていきました。
しかし、当時私が専攻していた工学部では、大学院への進学が専門を活かした就職への必須条件だったこともあり、所属していた研究室の教授の助けもありなんとか、大学院進学を果たしました。
ちなみに学生時代は、コンパクトデジタルカメラを買って旅行に持っていくくらいな趣味カメラでした。
挫折を味わった大学院生時代
22年過ごした関西を離れて、2012年春に、東京で大学院生になることができました。
- 今では慣れた標準語での会話も
- 味の濃いお蕎麦のつゆも
- どこにも売っていない551の豚まんも
当時は全然慣れないまま、新しいキャンパス・研究室での生活がスタートしました。
理系の大学院の研究室は、本当に理論派の集まりで、成果主義ですごくサバサバしています。(あくまでも私の感想です)
いろんな要素が重なって、大学院2年の時に
「この道は、私が進む道じゃない」
と、大学院を中退することを決めました。
それは、すごく悔しかったし、でも研究を頑張っても他の人にもついていけないレベルの違いも実感していました。
他にやりたいことが見つかったから、ではなく、「もう無理だから」中退したというのは、親にも申し訳なかったです。
当時は、アイドルにもハマっていたので、写真集買ったり、たまにイベントにも参加していました。
写真のポージングはそこで覚えたものもたくさんありますね。
安定のための就職
大学院中退を決めた私は、すぐに就職活動を始めました。
既卒での就職活動はかなり厳しかったのですが
- 福利厚生充実
- 安定の就職
を求めて、大学や学校法人の事務職員の採用試験を片っ端から受けて、なんとか無事に学校法人の職員になることができました。
カメラとの出会い
写真に興味を持ち始めたのは、東京で社会人になってからのことです。
定時で帰れるし、お給料も満足していたけれど、人間関係が密でややこしく
仕事もなかなかできるようにならなくて、疲れていた頃
出勤する道のりに咲く、季節の花をiPhoneで撮るようになりました。
撮るのが楽しくて楽しくて、一眼レフを買おうかなと思った一つのきっかけになりました。
写心家つぐさんとの出会い
写真に興味を持ち始めたころ、プロフィール写真撮影で東京で今も有名な、「つぐさん」こと丸山嘉嗣さんと出会いました。
やりたいことを仕事にし、写真で人を幸せにするつぐさんの姿に、衝撃を受けて、写真を本格的に始めました。
花や自然の写真を撮るのも大好きでしたが、人を撮るのはとても楽しくて、「写真を仕事にしたい!」とすぐに決めました。
職場や学生生活では、人と人のつながりが希薄な環境にいたこともあって、写真が人と人をつないでいくことにとても魅力を感じたし
つぐさんと出会い、新しい環境に進んだことで、それまでは抑え込んでいた「表現欲」が爆発したのかもしれません。
写真を撮ることに、どんどん夢中になっていきます。
うまく撮れないし、カメラの設定も構図も、何も知らなかったけど、たくさん調べて実践して、続けてきました。
カメラマンへの転職は背水の陣で
写真とカメラと出会って、「これが私のやりたいこと」と活力が湧き、使命を感じ、カメラマンになることをすぐに決めました。
でも、大学院も中退して、せっかく安定した就職ができたのに、経験も人脈もほぼゼロの中、カメラマンで独立するということは、お金のこともすごく心配だったし、案の定、両親も大反対。
でも絶対に諦めたくない。
だからこそ、「絶対に成功してやる!」
と、背水の陣で、毎日たくさん撮って、いろんなところに顔を出し、たくさん投稿もしていまいた。
でも無理して頑張っているんじゃなくて、本当にやりたいことのためだし、新しく人と出会って、知らない世界を知るのもすごく楽しかったですね。
もちろん、負けず嫌いな性格なのも、プラスに働いていると思います。
カメラマンとして独立・開業
カメラマンとして、なんとか無事に独立した私は、起業家向けのプロフィール写真撮影を中心に撮影に走り回るようになりました。
- 私の「カメラマンとして頑張りたいんだ」という気持ちを聞いて、応援してくれる起業の先輩もたくさんいて、ご縁を繋げてくださったり
- 私がカメラマンになるまでのSNSでの投稿をひっそりと見続けてくれていた大学の同期が撮影を依頼してくれたり
- 「マタニティフォト撮りたい」「メイクつきで撮影したい」と思っていたら、ご紹介してもらったり
ご縁がご縁を繋げてくれました。
私一人じゃ何もできなかったです。
東京での活動していた後半の時期は、
セミナーや講演会などの100人規模の会場で撮影したり
それまでの優しい感じの写真ではなく、かっこいいアーティスト系の撮影もするようになりました。
「こういうの向いてるんじゃない?」
「こういう撮影できる?」
という、撮影をご依頼くださった方や友人からのアドバイスもたくさんもらって、いろんな撮影をさせてもらって
カメラマンとしての私は撮影させていただいた方に育てていただいているというのを実感しています。
札幌への移住
結婚・出産を東京で経験し、カメラマンとしての活動も産後4ヶ月目から再開しました。
少しゆっくりペースだけど、子どもとの時間も楽しみながら(いや、悪戦苦闘しながら)写真の活動を続けています。
そして、夫の仕事の都合で、家族で2017年末に移住しました。
またしても、人脈ゼロになってしまいましたが、経験値はゼロにはなりません。
北海道という、東京にはない恵まれたロケーションは本当に素晴らしいし、食べ物も美味しい。
カメラマンとしての挑戦はまだまだこれからです!!
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札幌を中心に
・いまの自然な表情を切り取る「家族写真」
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